初代 奥川忠右エ門

初代 奥川忠右エ門私の師匠義父、初代奥川忠右エ門をご紹介したいと思います。

佐賀県有田町は、1616年磁器の原料が発見され「磁器の町有田」として時代と共に様々な隆盛を極めました。
その有田の長い歴史の中に異彩を放つひとりの陶工がいました。 大物成形で国の無形文化財、奥川忠右エ門がその人であります。 その技法は江戸から明治時代にかけて、陶工たちが命をかけ、守り伝えてきた高度な技術を必要とする「ろくろ技法」です。

豪華絢爛に花鳥風月を描く有田焼の中で、神の技と言われたそのろくろ技術を遺憾なく発揮し、絵を付けない ’’白磁の作品’’ を初めて確立しました。
形の美しさのみで芸術作品を生み出すその高い技術は、それまでの有田の常識を覆し、のちに多くの評価を受けました。 元来、有田焼には各々の役割りを持つ「細工人」と言われる職人がおり、ろくろの技術のみで白磁作品にするなど、当時は誰も考えおよびませんでした。

忠右エ門が展覧会などに出展すると、未完成品といわれ審査対象にならなかったというエピゾードもあるくらい、’’白磁の作品’’ は認知されておりませんでした。

高さ2メートルを超える大物花瓶から繊細な小物作品まで寸分の狂いなく蹴ろくろで成型し、土を愛し、磁器を愛した証を作品に残し、その生涯を終えました。

忠右エ門が遺した ”技” の数々は、ここ有田で確かに伝承されており、時代を超え、受け継いだ私達職人の心のなかに今も生き続けています。

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